飲み会

ashiwaza2007-11-28

ちょっとしたイベントが終わって、関わった人たちと飲みに行った。昔は、仕事仲間での見に行くのはそんなに好きではなかったが、最近はそういう機会を自分で作ってでも飲みに行きたいと思うようになった。普段仕事でしかつきあいのない人が、どういう人間なのかを知りたいという興味がわくようになった。逆に、今までそういうことにほとんど興味がなかったことのほうが、おかしかったのかもしれない。
同年代の気楽な飲み会でいいなあと思っていたが、実は自分が一番年長であることに気付いて、もしかして、本来であれば、もうすこし近づき難いぐらいの威厳がないといけないのかなと思いつつ、いやいや、そんなに年齢差を感じさせないぐらい若々しいのだろうということで、いい方に考えてみる。
その場で、女性の一人が「結婚ていいですか」と、妻帯者の中でも一番若手であろう男性に質問したのをきっかけに、いろいろ話が盛り上がった。ちなみに、男性はほとんど妻帯者で、女性は全員独身であった。確かに、仕事場で見渡しても、結婚したいと思わせるような、いい独身男性がいないような気がする。若手よもっとがんばれ、と思ったが、よくよく考えると、結婚している男性が格好良くないから、結婚してもつまらないと女性に思わせているのではないかと。なぜ結婚したかというのは、正直よくわからない人が多いのではないか。そのときの流れというか勢いというものがある。結婚したくて相手を探して結婚した訳ではない場合、恋愛から結婚へに切替えるきっかけというのは、人それぞれだと思う。よく、運命の赤い糸で結ばれていたというが、それは劇的あるいは運命的な出会いが用意されているという訳ではなく、一緒にいることがなにか自然な感じがする人がどこかにいますよ、ということだと思う。仮に生まれ変わったとして、今の人生と違う道筋をたどって、もっと美人や、もっと違う人と出会うことがあったとしても、結局、同じ人と結婚する気がする、結婚相手ってそんな人ではないだろうか。そこには、自分では気付かない、先祖代々から受け継がれた、もしかしたら遺伝子レベルで、自分に合う相手を感じる力があるのではないのだろうか。であるから、結婚適齢期と呼ばれる期間の前半、結婚しなくてはいけないんだろうかという焦る気持ちが出る前の方が、自分の自然な感性で相手を選べるのではないだろうか。たとえ、結婚相手を探そうとして異性を観る場合でも、いろいろな相手の条件や細かいことにに気をとられずに(その時の年収や見栄えが、そらから何十年も保証されるわけではない)、自分の感性に耳を傾けることが重要だと思う。それが、赤い糸をたぐり寄せるってことではないのだろうか。
好きな映画に、「めぐり逢えたら」という映画がある。原題は、"Sleepless in Seattle"。Tom HanksとMeg Ryanの共演のロマンティックコメディー。この映画では"Sign"という言葉で、顔もしれない相手が、自分の運命の人であると感じることを表現している。決して、甘ったるい、少女漫画(最近は違うのかもしれないが)のようなストリーではなく、大人のエスプリの効いた、楽しい映画。運命といっても、Meg Ryan演じる女性は、白馬に乗った王子様をまっているのではなく、その運命の糸を自らたぐり寄せる。そして、最後はちょっとした幸運がそれを手助けする。自分が願うものに対して、それをもとめて行動していくと、最後は神様が最後の一押しの手助けをしてくれたんじゃないかという経験は何度もある。いろいろな生き方があるので、結婚しないといけないということは全くないと思うが、一緒にいてなんだか元気になる安心するとか、そういう人を見つけないなと思うこと、そしてそれが自然と結婚につながったとしたら、やっぱりそれは幸せだと思うし、神様はそれにほんのちょっとの手助けをしてくれるものだと思う。
酔っぱらっているし、そもそも、恋愛論とか結婚観とかいうのを述べる柄では全くないので、支離滅裂だが、これはこれとして、そのまま残しておこうと思う。
ちなみに、「めぐり逢えたら」を彼女と見に行ったとき、思いっきり寝られたには参った。

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